速さを競う世界では1位しか意味がない。2位のスペースはないのだ。Alessandro Petacchiは再び飛躍する準備を着々と進めている。2005年の世界選手権でのイタリア代表チームのキャプテンの座は、PetacchiにとってもMario Cipolliniにとっても”extra small”なものだ。 9月25日の世界選手権までまだ10ヶ月もあるが、すでにレースは始まっているのだ。Re Leoneはスプリント勝負を仕掛けてきた。 「Madridは俺の大きな目標だ」 Ale Jetもすぐに応戦した。 「世界選手権にはアシストとして行くつもりはない」 自転車界の状況は、2002年のZolder大会からはすっかり逆転してしまっている。そのときは誠実なPetacchiによって昇華されたチームのすばらしい働きによって、Cipolliniが虹色ジャージをまとうことになったのだった。 現在の新たなスプリンター王者は、贈り物をする気はない。12月2日にイタリア代表監督のBallerini、オリンピック代表のLombardiと共にコースを試走したPetacchiは言う。 「Madridがスプリンターのための世界世界選手権だと聞いたとき、ひらめいたんだ。来年の選手権は僕にとっては大きなチャンスだってことをね」 Zolderでの思い出はいまだに塞がらない傷口のようなものだ。 「僕は崖っぷちに立たされていたことを決して忘れないだろう。あの日僕たちはみんながんばったけど、Bettiniのトラブルのために僕は2倍働かなければならなかった。そして僕はCipolliniのためにも働いた。もしそれだけやってのける脚がなかったら、きっと僕に対する非難は轟々たるもので、めった打ちにされただろう。でも僕のことを知っている人は、僕は姑息な手段で勝ったりしたことはないということはわかっているはずだ」 Petacchiはいまや状況が逆転することを待ち望んでいる。Cipolliniに対してということではないが・・・。 「もし僕の方が強かったら僕を引いてくれるとCipolliniは言ったって?そうかもしれないけど、正直に言うよ。僕のことを一度も引いたことががない外部の人よりも、チームメイトに引っ張ってもらう方がいいね。彼らは去年すべてをやってくれたし、スプリントの何たるかをよくわかっているからね。とはいえ、ZolderではCipolliniの最終アシストはLombardiだったんだ」 Toscana州のMarina di Massaの彼の隠れ家の棚には、昨シーズンの分だけでも、戦後の記録となったGiroでの9勝を含む21個のトロフィーが飾られている。そして2005年は質的にも飛躍するべき時だ。 「同じことの繰り返しをするだけになる危険性があることはわかっている。ただのスプリンターに過ぎないと思われたくないのなら、来年はSanremoと世界選手権と言う大きな目標に集中しないといけないだろう。Giroで何度も勝つだけでは十分ではない。シーズンを2つの部分に分けて考えることにして、Tour出場はあきらめたんだ。 去年のSanremoでの敗戦で、最初っから飛ばさないといけないということがわかった。上りでもそれほどのスピードを失わずに走れると思う。Freireのように上りでも強いPetacchiでいたいんだ」 Tourでの落車でオリンピックをあきらめなければならなかったが、左肩に残った痛みは理学療法で回復した。Paris-Tourの直前に罹ったウィルス性腸炎のおかげで20日の休養を余儀なくされたが、Ale Jetは10月末から自転車に再び乗り始めた。3時間ロードに出て、家でもトレーニングをする。 今年ほどFassa BortoloがPozzatoのような才能ある選手を犠牲にしてまでもチームのイメージを固めたことはない。PetacchiにはもうTrentiというアシストはいなくなる。 「彼がチームを出ようとする前に教えてくれればよかったのにな」 しかし、Ferretti”軍曹”が獲得したチームメイトは、Baldatoの復帰、Augの移籍など、また新たな”車両”を形成する。 「Ferrettiと僕は意見が一致している。時には彼は厳しすぎることもあるけれど、いつも最終的にはうまくいくんだ。興奮するところも見たことがあるけど、単にいつもできるだけよくしようとしているだけなんだよ」 内輪ではPetacchiは外向的な面も見せる。2年前からPetacchiの活力の女神であるAnna Chiaraは言う。 「Alessandroの本当の顔をみんなも知るべきだわ」 夕暮れ時には婚約者と一緒にPontile近くの海岸を散歩し、オウムのKokyにまるで子犬のように紐をつけて気晴らしに連れ出す。Versiliaの海岸沿いの庭付きの家で静かな午後を満喫する。家では猫のSissyとRomeoが走り回り、フェレットのTrillyは居眠りをしている。 「海は落ち着くね。でも冬だけだよ。僕のシーズンは逆なんだ。子供の頃みたいに、両親の住んでいるMolicciaraの近くの湖につりに行くのが好きなんだ。もし自転車選手にならなかったら、父と一緒に造船の仕事をしていただろうね。 僕がセックス・シンボルだって?そりゃ笑っちゃうよ。自転車競技というスポーツはサッカーとは違うんだよ」 そして一つの秘話が明らかになった。おそらく彼の遅咲きのキャリアを説明するのに役立つかもしれない。 1996年の年末、Scrigno di Reveberiでプロとして最初のスタートを切った年のことだ。Giro di Pugliaからの帰路、Petacchiの車は、方向指示を出さずにAurelia街道を突然横切ってきたミニバイクと衝突したのだった。この衝突で18歳の少年が死亡した。 このことでPetacchiは、次のシーズン中ずっと良心の呵責に責めさいなまれ続けた。 「アマチュアのころから鬱状態に苦しみ、いつ再発するか怖かったんだ」 やっと自信を取り戻したのは98年の初めになってからだった。Malesiaで逃げを打ち、初めてステージ優勝したのだ。その時はGuidi, ConteそしてRossatoが引いていた。 「自分がチャンピオンになれるなんて思ってもいなかったよ。いまだに僕は生まれつきのスプリンターとしての性格は持っていないと思う。速いスピードにグッと乗れることがわかって、それをうまく結果に結びつけることを学んできたんだ。これが僕の強さの秘密だよ」 こうして彼はCipolliniの王冠を奪い取ったのだった。いまやたくさんの雪辱を目指して準備中だ。来年の最初のレースは2月6日のDonoraticoだ。 「Cipoとの最初の戦い?他のレースと同じように考えたいよ。今のところ僕がうまくいっているからね。でもいつも互角でスタートしていると思っている。慢心は禁物だよ。Cipolliniは誰とも比べることのできないチャンピオンだ。僕は自転車に乗るときはいつもそう思っているし、一度は彼とのスプリント勝負を考えるんだ。そして練習をしたくないと思うときでもできる限りやってみようと自分を奮い立たせるんだよ」 Luigi Perna/041207 La Gazzetta dello Sport
by filippo_i09
| 2004-12-09 01:00
| Commenti(インタビュー)
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